moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

ちょっと「合理的配慮」

ハートネットTVフクチッチ」視覚障害(前編)を観て

 

以前に紹介した

堀越善晴さん著書の

「世界を手で見る耳で見る」

 

その本にも関係するようなテレビ番組がありました。

 

それが「ハートネットTVフクチッチ」視覚障害(前編)

 

 

番組冒頭

お盆にのった定食のお皿たち・・

(手前にご飯茶碗と汁椀、真ん中に魚のお皿、その先、に左側に野菜の器、右側に小鉢)という定食のお盆でした。

 

これを視覚障害の人に「どう説明するか」から番組が始まりました。

 

 

街頭インタビューで説明を求められた人たちも

スタジオにいるタレントさんも戸惑っていました。

 

そういう私も、テレビを見ながら、説明文を考えましたが・・咄嗟には・・・戸惑ってしまいました。

 

 

そこで視覚障害の教育に携わっている奈良さんが

 

「クロックポジション」での説明方法を示してくれました。

 

お盆を時計に見立てます。

真ん中を、時計の針の芯と考えて、

「時計の芯のところに、魚のお皿があります。」とか

「10時の方向に野菜、4時の方向に汁、」などという示し方です。

 

だった、だった

私は実は、大昔にこの示し方を教えてもらったし、

ドラマとかでも、レーダー上の航空機などを表すのに使っていたなーと思い出しました。

 

この数十年、日常で視覚障害のある方と接する機会がなかったということもあります。

 

 

また番組では

 

全盲のご夫婦と赤ちゃん(視力あり)の三人暮らしの様子も紹介されていました。

 

ご夫婦共に、全盲なので、視力のあるお子さんが産まれるまで、電灯をつける習慣がなかったということでした。

 

「確かに」「だよね」と、私は独り言です。

 

目の見える族の私は「夜には灯り」ということが当たり前なんですが、

福祉の番組を観るたび、いつも「目から鱗」がいっぱいあります。

 

全盲のご主人が

街に出るときは必ず白杖を手に持つ、と言っていました。

 

この方の話で印象的だったのが、

「よく白杖は目の代わりと言われますが、むしろ手の代わりだと思う」と言っておられました。

 

体の前方で歩調に合わせて、白杖を滑らしたり、叩くように白杖を動かすのですが、

彼にとっては、地面を手で触るかのように、道路の情報を感じ取るわけです。

もちろん少し先の障害物もわかります。

 

そして、白杖とは関係なく、視覚を補うばかりでないすごい能力も垣間見ました。

 

左側に壁の続く歩道を進んでいて、

「この辺で壁が切れて、壁が斜めになっていますね」と言ったのにはびっくりしました。

 

実際、角を削るかのように壁が斜めになっていたのです。

この方は、詳しくは説明をしてませんでしたが、

それまで左側に壁を感じていたわけですが、

多分空気の流れとか音の微妙な響きなどで、壁の変化を感じたのでしょう。それも斜めということも。

 

堀越さんの「世界を手で見る耳で見る」にも

似たようなことが記されていました。

 

教鞭をとる著者の堀越さんが教室に入った時に

「今日は学生が少ないですね」と言ったら、

学生が「見えるんですか」と驚いたとか・・・堀越さんは「わからないけど、わかるんです」と言ったとか・・・

 

 

「見えない族」の人たちが

壁が斜めに折れていることや、

教室に入っただけで学生のおおよその数がわかるということは

「見える族」の私達にしてみたら、びっくりです。

 

番組では、

最初に「クロックポジション」を紹介してくれた奈良さんが続けます。

 

点字ブロック視覚障害者にとっては便利な物だけど、

車椅子ユーザーにとっては厄介な物と。

 

また、白杖で道路の微妙な変化を感じながら歩いている視覚障害者にとっては、

歩道の段差はたいへん便利な物だけど

車椅子ユーザーにとっては厄介な物という話がありました。

 

そこで視覚障害者と車椅子ユーザーが話し合って、「どの位の高さの段差なら車椅子は支障がないか」

とか

白杖はどの位の厚さなら歩道の段差と認識できるか」(かなり薄くてもOKらしいです)と

双方が話し合うことがあると言っていました。

 

まさしく「合理的配慮」ですね

 

 

最近では、この「合理的配慮」という言葉もよく聞きます。

 

この「合理的配慮」について、ちょっと本を探そうかなと思って・・・あるはあるは

 

障害の数だけ、いや人の数だけ合理的配慮があると思いました。

 

同じ、ハートネットTVで「合理的配慮」が取り上げられたときの内容をチェックしてみました。

そこで語られていたのが

「配慮」という言葉から、「思いやり」という印象をもたれやすいけど……

「合理的配慮は<思いやり>ではない」というのです。

『思いやり』は一方通行の感じがあります。また、本当の意味での思いやりでなく、

何か親切の押しつけ的な感じもあります。

Aさんが良かれと思って行なうことが、Bさんには不快だったり、「やりすぎだよ」と思ったり・・・

番組で奈良さんが「トイレを案内してもらったら、多目的トイレだった。視覚障害者にとって多目的トイレは広すぎて、迷子になるんです」と。

つまり案内した人は、良かれという思いで、障害者なら多目的トイレがいいだろうという考えたわけです。

 

合理的配慮は、お互い話し合った上で、

困りごとを除去するための『落としどころを見つけるところ』にポイントがあるというのです。

『落としどころを見つける』という言葉、いいですね。

「合理的配慮」は1人1人違う。

何ができるか個別に話し合うのが、ポイントだそうです。

双方の『落とし所』を探すということ・・・

普段の人間関係じゃん!  

そう、障害を持った人へも、ご近所さんへの配慮と変わりないということかもしれないです。

何やら、ごく当たり前で、平板化したように思いますが、

福祉の番組で取り扱われなければならないということはですよ、

そんな当たり前の関係性が、できていないということなんです。

もちろん、私も含めて・・・

以前にもちょこっと触れましたが、

ドラマ「恋です!ヤンキー君と白杖ガール」「Silent」

映画「コーダ あいのうた」、(特に好きだった)「ケイコ目を澄ませて」などは

 

物語としても素敵でしたし、

たくさんのことを教えてくれました。

 

私にとっては、Eテレの福祉の番組は楽しいものですが、

ドラマや映画でも「落としどころ」を探していきたいものです。

 

聴く耳、話す口、想像する力、行動力を持ってして・・・

 

思い込みやこだわりなく、いかに率直に周囲の人と話し合っていけるかなーーーやさしさと共に・・・