moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

「シモーヌ」

<フランスで最も愛された政治家>のお話ですが・・・

 

ちょっとその前に

 

「若いもんが昔語りをしねえのは、単に今が忙しくて振り返る暇がないからさ」

 

「先があるうちは、逃げきれそうに思えるからな。

背中を向けて走って逃げりゃいい

 

ワシのように、生い先が短くなると、

自ずと逃げ場にこと欠くことになる

先がねえからこそ昔を振り返るんだ」

 

と、ある時代小説で、

年配の男性が言いました。

 

「生い先が短くなると、逃げ場に事欠く・・・」という件(くだり)。

 

そう

 

私は来年70歳。

どうあがいても、これまでの時間より、これからの時間の方が短いのです。 

 

これまでが約70年、平均寿命を考えてもあと20年弱です。

 

これが現実です。

 

ということは

「これから何したい」「どうなりたいか」を語るより

はるかに、語る内容は、昔語りが多いことになります。

 

これ、弱気とか悲観とか、ではなく事実として・・・

 

 

さだまさしの「主人公」という曲を聴きながら、

自分史を書こうと思ったことがありました。

 

で、生まれた時から、

年表を埋めるような作業をしてみましたが、

遅々として進まなかったんです。

 

昔語りを記録したくても・・・

 

幼い時のひとコマと、高校生のある出来事が一緒に・・・とか

時間差で浮かんできたり・・・

友人の友人が出てきたり・・・

兄との喧嘩場面が出てきたり

 

いろんな断片が・・・

行き場を失ったジグソーパズルのように、

頭の中で無造作に置かれちゃうんです。

 

で、年表は諦めて、

ふと思ったことや、出会った本や映画を通して、

今の自分や、過去の断片に触れていくことにしました。

 

それがこのブログです。

 

 

ということで、最近出会った映画「シモーヌ」を紹介します。

 

何度となく、主人公のシモーヌが海を眺めている姿が出てきます。

 

彼女が晩年に、自伝を書くために、

思い出し、時に首を傾げて・・・

頭の中で自分の人生を蘇らせていました。

 

一つの重要なことを思い出そうとすると、

奥の方にあるもっと個人的な場所や感情や

別の記憶と重なり合ったり・・・・

 

それは、順を追って、幼少期、少女期・・・

と順番に

年表を作るように、事実を列挙していくのでなく、

あっち行ったり、こっちに戻ったり、突然吹き出す間欠泉のようだったり・・・

そんな様子が

海を眺めるシモーヌの視線に伺えました。

 

 

 

実際、この映画の作り方は、彼女の思考のままに描いているかのようでした。

年代や記憶が行ったり来たりしていました。

 

 

ということで、私は映画を簡潔に紹介するという形式でなく、

映画の構成の感じで、行ったり来たり、迷いみちで

この映画の紹介をします。

 

 

<フランスで最も愛された政治家>という副題のついた「シモーヌ」という映画は

 

シモーヌ・ヴェイユというフランスの女性政治家を描いたものです。

 

冒頭

幼い頃の幸せそうな家族の風景(1930年頃)から始まります。

ユダヤ人でありながら、シモーヌの家族は「同化ユダヤ人」という立場に立っていました。

 

「同化ユダヤ人」とはユダヤ教や伝統からは離れて、周囲の文化や社会に同化したユダヤ人ということです。

 

 

1930年から1974年へ映像が切り替わります。

 

彼女の名前のつく「ヴェイユ法」と呼ばれる法律がありますが、

 

その法律は人工中絶の合法化の枠組みを整えるものでした。

 

それを成立させるための演説風景です。

凜とした姿は惚れ惚れします。

法案可決後に女性たちがシモーヌに感謝の言葉を投げかけ、

取り囲む風景が映し出されます。

 

それまでのカトリックや男性社会の長い歴史で、

たとえレイプであっても中絶は違法であり、

違法であるが故に、いわゆる「ヤミ」の危険な手術が横行する社会がそこにありました。

女性のために、合法化の枠組みができれば、

レイプなどの不幸な出来事にも

少なからず、制度上だけかもしれませんが、

女性が救われる機会になったわけです。

 

 

そして唐突に

1974年から・・戦後まもない1946年のパリの映像になります。

 

ベッドで安心して眠れず混乱するシモーヌ

ベッドでなく床に寝る癖がついていたのです。

 

そんなシモーヌを優しく受け止める男性、アントワーヌと結婚します。

 

そう、あとでわかるんですが、

同化ユダヤ人とはいえ、ユダヤ人なので、ゲシュタポに捕らえられ、硬い床(地べた)が寝床、

つまり一年以上の強制収容所や「死の行進」の日々だったからです。

 

 

1946年から1948の映像へ。

シモーヌと姉は1945に解放され、フランスに帰国していました。

 

あとで1950のところで触れますが、

シモーヌたちのような収容所からの生還者たちには

「沈黙」が強いられる世の中でした。

 

ものすごい息苦しさの中、

それを跳ね返すように、子育てをしながらも

強い信念に突き動かされて政治・法律を学びます。

 

 

映像は、1946年→1975年頃へ移り代わり、

保健大臣になっていたシモーヌ

あるセレモニーで、セメントを穴に埋める作業をしますが、

周囲に手際の良さを褒められます。

するとシモーヌは「強制収容所でやっていたので・・・」と、

長い沈黙を破り、

アウシュビッツ」や「死の行進」の経験を公にします。

 

1950、1994,1957、1970、1944、1979、2004

様々なエピソードと映像、行ったり来たり・・・です。

 

前にも触れた「生還者の沈黙」ですが、

 

1950年頃、

強制収容所からのユダヤ人の生還はあり得ないこと、

あり得るとしたら・・・何か訳があるはず、そんな社会の雰囲気があったようです。

 

シモーヌと姉の手紙のやり取りに

「生還者はフランスでは汚点扱い」とか

「親衛隊と寝て生還したのかと老婦人に聞かれた」

と書いています。

 

 

映画の中でも

強制収容所、死の行進の凄まじい困難は

「これでもか!」と襲い掛かり

生きていること自体が奇跡としか思えませんでした。

 

究極の恐怖と底辺の日々は、

シモーヌのその後の人生において

強い信念と愛を湧き上がらせ、

常に虐げられた人々への視線となり、

<フランスで最も愛された政治家>になったんですね。

 

 

「事実は小説より奇なり」

 

歴史上の人には、神あるいは「天」から与えられたとしか思えない命を預かる人がいますよね。

 

シモーヌもそんな一人かもしれないなと思います。

 

 

「実話に基づく・・」という映画が好きな私です。

 

 

お堅く、重い映画かもしれませんが、

私の中に、湧き上がるエネルギーを感じています。

 

「怖い」とか「難しいよ」と言われるかもしれませんが、

お子さんとかお若い方に観ていただきたい映画で、

いつか大人になった時にちょっと思い出して、

「戦争は嫌」と言ってもらいたいものです。