数日前からまたまた写経を始めた。
筆ペンは疲れるから、1cm方眼のノートにボールペンや極細の筆ペン(サインペンのような)で気軽に書いている。
「何故書いているんだろう?」と考えたり、単に文字を追ったり?ゆっくり書いてみたり、投げやりに書いてみたり、二百数十字を書く間には様々な思考や指先の運動が交錯する。
久々の写経だったので、手本が見当たらず、ネットで「般若心経」を検索して前に置いて書いた。暗誦できる字はそのまま書いたり、ネットの文字を追ったり・・・
今日は新井満著「自由訳般若心経」を引っ張り出してきて、自由訳も読んだりしながら写経した。
裏帯に『何百回読経してもよくわからなかった謎が、ついに解けた。瞬間、迷いが晴れ、不安が消えた。そうなのだ。「般若心経」とは、私たちに“生きる力”を与えてくれる、釈迦からのメッセージだったのだ。』新井満とあった。
私は何百回どこじゃない、読経を重ねているのに・・・「生きる力」を実感できていない。