moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

祖母、きん

前回のブログの配信の翌日、

69歳の誕生日を迎えました。

 

ブログやポッドキャストのテーマは「70歳」ですが、

実際の年齢は現在69歳の私です。

いつも書いてるように来年70歳です。

 

医療制度でよく言われる後期高齢者は75歳以上なので、

65から74歳の「前期高齢者」の私です。

 

ただ私の中では、とりあえず、

70歳が「老人」を意識する「境」のような気持ちが常づねあります。

 

 

大昔、「おばあちゃん」と感じたのは、物心がついた頃で、実際の祖母のことを

「こういう人がおばあちゃんなんだ」と思いました。

 

ちょっと土気色で、手足にシミがあり、しわくちゃで・・・

 

当時、そのおばあちゃん「きん」は60数歳だったんです。

 

兄が悪さをすると、箒(ホウキ)を持って追いかけていましたし、

私も悪いことをした時、ゲンコをもらいました。

手を握って曲がった中指の関節を他の指から尖らせるんです。

その中指の関節で私の頭をゴツンとやるんです。

すごく痛くて、今でも思い出せる痛さです。

 

 

私が祖母のきんを思い出す最初の光景は

浅草花川戸の小さな旅館「しずは」の一室で、

祖母と私と姉が並んで寝ていた光景です。

 

一時的に「しずは」に3人で住んでいたような・・・

 

祖母のきんは、メガネをかけて、新聞の株式のページを見ていたました。

(何故私が株式のページだったと認識したかは不明です。後々、きんさんがよく株式のページを見ていたからでしょう?!)

 

 

その後、きんさんとの記憶は

以前ポッドキャストやブログでも触れた「ホテル後楽園」の一室です。

そう、文京区弓町(現在の本郷1丁目)に

母が修学旅行生を対象とした旅館を営んでいたその一室です。

 

 

私は祖母や4人の兄弟姉妹と共に旅館の一階で暮らしていたような?

とは別に、2階から降りてくる和服の男性(これが私の父だった)の姿が思い浮かびます。

 

時折、私も父の部屋を覗いていたのでしょう?!

床の間を背に和服姿の父が刀の手入れをしている光景が出てきます。

 

その後、父はその旅館から姿を消し・・・きっと大人の事情で「離婚」になり、父が出て行ったわけです。

 

祖母は時折、父の悪口を言っていたような・・・

中でも印象に残っているのは「Kは食事の時、新聞を読んでいた」と、ホント嫌そうの言ったんです。

その言葉は

私にとって、躾(しつけ)であり、悪い人の象徴として刷り込まれました。(以後、食堂などで食事中に新聞や雑誌を読むことに異常に反応する私がいます。)

 

 

きんは、手作業もよくやっていました。

古いセーターを解いて、毛糸玉にして棒針で編み物をしたり、古い着物を解いて前かけや巾着袋や鏡台掛けを縫っていました。

 

布団の打ち直しを見たこともあります。

布団生地を中表に置き、帯状の薄く均してある綿を生地の上に手際よく置いていき、最後に生地をひっくり返して布団が出来上がり、仕上げにところどころ糸で留めて、綿が動かないようにしていきました。

 

何が起こるのか、ワクワクしながらずーっと、きんの作業を見ていました。

 

私が野菜嫌いだったので、野菜をすりおろしたハンバーグを度々作ってくれました。

 

運動会というと、油揚げを大量に煮込んで「お稲荷さん」を作っていました。

冬は大鍋で鳥のガラで出汁をとっておでんを作っていました。あれはおでんだったのかな?

 

おばあちゃんはとっても怖かったけど、具体的にどんな言葉で叱ったり、ワンマンだったかは覚えていません。

 

ちょっとした買い物は上野の松坂屋

ちょっと贅沢な買い物は日本橋三越にタクシーで連れて行ってくれました。

私の目当ては、松坂屋だと「ホットドック」、

三越では上層階の食堂で食べる「スパゲティーミートソース」でした。

特に秋にはお正月におろす「よそゆきの洋服」を買ってもらいました。

 

旅行や夏休みの海もおばあちゃんが一緒でした。

 

うる覚えですが、テレビを見ながら、その内容に触れ、戦争時代のこと、政治のこと、商売のことを話してくれていました。

その中で印象に残っているのは

自民党だけに任せてはいけない、でも共産党はね?! 私しゃ、中道だ」と言っていたことだけは鮮明に覚えています。

 

 

何かと商売についても、結婚についても、祖母は母に口うるさかったのでしょう。

ある時、旅館経営から半ば強引に退かねばならなくなりました。

 

旅館の中で一番高い部屋に立て籠もって、抵抗していた姿を覚えています。

 

今ならおばあちゃんの気持ちも母の気持ちもよーくわかります。

 

旅館から、1・2分離れた住宅に家族は移り住んだのですが、

徐々にですが、おばあちゃんの存在感が薄くなりました。

 

孫たちもそれぞれの学校や遊びに没頭していましたし、家の中のことは、お手伝いさんが何でもやってくれていました。

 

おばあちゃんは、数年後には、2階の一室とテレビのある居間で隠居生活になっていきました。

 

 

私が物心がついて、60数歳の「おばあちゃん」を意識したけれど、

それからの10数年は、呼び名は「おばあちゃん」でしたが、

仕事に没頭する母の代わりに私たちにとっては「母」という存在でした。

 

 

私の中でも、祖母きんさんが70歳を超えた頃から、

完全に「おばあちゃん」「老人」という存在になったと思います。

 

 

私もその年齢にもう直ぐです。

今の70代はあの頃の70代より心身ともにずーっと若いのですが、

「きんさん婆ちゃん」の姿が思い出される今日この頃です。

 

 

ただ、今と同じように時間が過ぎて、

来年の誕生日が来れば70歳になるだけのことなので、

特別に考える必要もない気もします。

 

だって、20歳、30歳、40・・・50、と時間が過ぎただけだったじゃないですか?!

そして300数十日の時間が過ぎれば、単に70歳になるだけですもの・・・

 

 

と、頭では思うのですが、まあ、うまく言葉にまだ表せませんが、

「70歳」とか、「老人」とかを気にしていることは、事実なので、そのまんま・・・

今起こっていることを通して、感じていることを

ブログでは文字で、

ポッドキャストでは音声で

発信しているというわけです。

 

 

ポッドキャストやブログをやるようになって・・・

配信の日曜に向けて、

「今日は薬剤師さんと気象病について話したけど、彼はあまり知っていないな」とか

「ポコの散歩でSさんに会って、Sさんのうちまで行ってしまった。楽しかった。」と、

 

日時はごちゃごちゃになっているけど、会った人、話した内容とかが以前より楽しく印象に残り始めました。

 

それはポッドキャストやブログで表現することで、

日記より、ちょっとだけ公な自己表現をしようとしているからのように思います。

 

 

何度、何十回、何百回と日記を試みただろう?

気に入ったノートを何百冊買ったことだろう?

 

仕事絡みだが、毎日更新のブログだってやったことだってありました。

 

ダイエットも趣味も日記もブログも・・・

何か新しいことを行うといつも「3ヶ月の壁」が立ちはだかっていました。

 

今回のブログとポッドキャスト同時配信を始めて、

なんとか3ヶ月は過ぎました。

今が正念場かもしれません。

 

ということで、今日は、

私が何故70歳を意識するのかにつながる人

祖母きんのことを思い出してみました。