moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

「下手すぎる菓子折りの包み方」

私より5歳年下の

1959年生まれの垣谷美雨(かきや みう)さんが書いた『行きつ戻りつ死ぬまで思案中』の

「下手すぎる菓子折りの包み方」を最初に紹介します。

5歳年下とはいえ、彼女の描いている事がとてもよくわかるんです。

 

 

抜粋したり、言い回しを変えたりした箇所もあります。

 

 

お世話になった方へのプレゼントのためにデパートで菓子折りを2個買った。

 

店員の女性に「このままでよろしいでしょうか」と言われたが、

あたりまえの如く、ラッピングと熨斗をお願いした。

 

「少々お時間を・・・その間他のお店などを見て回っていて・・・等々」と言われたので、

 

仕方なくデパ地下をトボトボ一周して戻ったところ、

店員が覚束ない手つきで一個目の包装していた。

 

会計を済ましていなければ逃げ出したいと思った。(下手すぎて・・)

 

一個目が終わり、二個目に入ったが、ああでもない、こうでもないと包装紙の上においた箱の向きを変えたり、

挙げ句の果てに、包装紙の端を折りたたむのでなく、切り落としたていた。

 

仕方なくデパ地下2周目。

再度来店してみると、包装は終了していたが、

その出来栄えに絶句した。

 

東京に出てきて約40年、そういう包み方を初めて見た。

 

幼稚園の子が包んだのかと思うような稚拙な出来だった。

敢えて小学生と言わないのは、小学生にもなれば器用な子もいるからだ。

 

小学生の頃、物を包むのが好きだった私なので、

空き箱を利用して包む練習をしたことがある。

 

それもあって私は綺麗に包めるので、余計にひどく見えた。

 

 

絶望的な気持ちで帰宅して、テーブルの上に菓子折りを2つ並べて眺めた。

 

自分で包み直せないか考えた。

包装紙に折り線がついてしまっているのは、

低温のアイロンで、消えるだろうし、テープはそっと剥がせば跡は残らない。

 

だけど、やっぱり無理だと気づいた。

 

店員が、箱を包めるギリギリの大きさで包装紙を切ったので、包み直しても同じようにしか包めない。

 

また、包装紙を小さく切りすぎて、端が剥がれないようにアチコチに目一杯テープを貼っている。

 

タオルなどであればいいが、食べ物となると、このご時世で未開封の清潔感が大切だ。

 

 

店員のほとんどが正社員だった時代、人数も多く、社内研修もしっかりしていただろう。

あの当時は信頼して任せられた。

 

だが、今では、人手不足の皺寄せが店員と客に向く。

デパートは、店員を増やすのも難しい。

 

新人は修練を積む前に、店に立たせるから不慣れでテンパってしまう。

 

 

仕方なく一箱は家で食べ、もう一箱は友人とお茶するときに事情を話してプレゼントした。

 

 

翌週、別のデパートへ出かけ、同じことが起きないように、店員の様子を気をつけながら店内を歩き回った。

 

どこからか威勢のいい声が聞こえてきた。

地下だというのに、八百屋みたいに呼び込みをしている中年の女性店員がいた。

 

ギラギラした目つきで客を見ていた。

この人に決めよう。

「これ2つください」

『お熨斗はどうされますか』

堂々とした見事な愛想笑いを見てホッとした。

「お世話になった人に・・」

『では“お礼“にいたしましょうね。お名前は入れますか?』

「いえ、結構です」

『それでは少々お待ちくださいませ』

 

手品かと見紛うような手捌きで、寸分の隙もなく、それも素早く、綺麗に包んでくれた。

おかげさまでその夜はぐっすり眠れました。

 

という内容のエッセイでした。

 

 

 

著者の垣谷さんの体験したことが目に浮かび、気持ちも大変よくわかりました。

 

 

この話を読み・・・

私の小学生の頃、おばあちゃんに連れられて行った三越松坂屋の包装紙を思い出しました。

 

三越は白地に赤とピンクの間のような色の模様、なんと表現しようかと考え、ネットで調べてみました。名前がついていました。「華ひらく」だそうです。

 

以下はネットの記事です。

 

他店に先駆けて包装紙に力を入れ始めたのが三越百貨店だった。
1950年、「戦後の暗い世相に光を」との考えによる、日本で初めての試みだった。

包装紙のデザインを手掛けたのは、猪熊弦一郎(イノクマゲンイチロウ)画伯。

「華ひらく」と名づけられたそのデザインは、画伯が千葉の犬吠埼を散策中、海岸で波に洗われる石を見て、「波にも負けずに頑固で強く」をテーマにしようと考えたことから生まれた。

包装紙のデザインを画伯に依頼し、出来上がった作品を受け取りにいったのは、当時三越宣伝部の社員だった漫画家、やなせたかしさん。彼の名は、アンパンマンの作者として、その後誰もが知ることとなる。抽象的なデザインの赤い切り抜きが白い紙にテープで仮止めされただけのデザイン画には、やなせさんも驚いたものの、商品を包んでみるとそれこそ花が開いたようにぱっと明るくなるのを見て「さすが猪熊画伯」と感心したそうだ。
その後、やなせさんの手で「mitsukoshi」のロゴが書き入れられたものが印刷され、完成した。

 

 

何とも豪華な巨匠のコラボレーションだったわけで、

何も知らずにいた私としては・・

これからは愛着を持って三越で買い物したいと思いました。

ただ、鹿児島には三越はないのです・・・

 

 

松坂屋はいろいろ変わっているようですが、

私には紫やピンクのカトレアが印象に残っています。

 

 

小学校の頃、女性の花形就職先はデパートと銀行でした。

そして春、新入社員の研修の第一歩が、デパートでは包装紙に商品を包む研修ということで・・・「こんなのが始まりました」という包み方の研修に取り組む新入社員のニュース映像も流れました。

 

小学生の頃、デパートは、買い物だけでなく、食堂も屋上も、夢の世界だったので、そこで働く女性は憧れでした。

 

あの頃、おばあちゃんは、デパートの包みのテープや、お店のシールを丁寧に剥がして、包装紙も綺麗にたたんで保管していました。

 

アメリカ映画やドラマの影響でしょうか、

プレゼントをもらったら、その場で、包装紙や袋を威勢よくビリビリ破くをの見るたびに、ちょっと眉を顰めたくなります。

 

先ほど紹介した垣谷さんも書いていましたが、

私もデパートの売り子さんの真似で箱を包んで遊んでいました。

 

 

高級洋菓子や高級ブランド服のお店では

おしゃれな紙袋に商品を入れてくれるようになったのは?

いつの頃からでしょうか?

 

そう、菓子折りも昔はデパートの包みを風呂敷に包んで先方に持参していましたね。

 

生活様式も和室の客間から、リビングルームへ移行して、

今は老舗の袋のまま差し上げるようになりましたね。

 

老舗のお菓子は箱を包装紙に包んでいますが、洋菓子は箱を直接、おしゃれな袋に入れていたりもしますね。

 

今では、ほとんどの洋服は薄紙に包んで、紙袋ですね。

今はその袋を保管して、何かのお裾分けなどに使いますね。

 

最近、私はネットで商品を注文して、包装紙を買ってきて、包むこともしばしばです。

 

そんな時、デパートのケースの向こう側の制服店員さんの姿を思い出します。