moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

「60歳のトリセツ」

69歳になった私が、

この9年間を思い返すのに適した本に出くわしました。

 

トリセツシリーズでお馴染みの黒川伊保子さんの「60歳のトリセツ」という本です。

 

 

この9年間を振り返って、思い返してみると

身体的衰えとともに記憶力などの低下、ちょっとしたイライラ・・・

またそれに反して、自分で言うのもなんですが・・・

気力の充実や人間的成長も感じています。

 

 

それまでになく

頭が回転して、気働きしていたような・・・感じもありました。

 

これらを日常の言葉で言うと・・・

 

「なぜイライラするんだろう?」

 

「旦那にキツイ言葉を吐いている。」

 

「今の若い人は・・・と言いたくなったり、物事が進まないと口を出したくなってしまう」

 

「何かに集中すると他のことを忘れたり、どうでも良くなる」

 

「今しようと思ったことを忘れたり、名前が出てこない。ボーッとすることもしばしば」

 

「とめどなく興味が湧き出ている」

 

「楽しいことはとことんやる」

 

「以前よりいろんなことを頭でなく感覚で味わえるようになったし、頭も回転しているし、ウキウキする」

 

「読書も映画鑑賞も以前より好きになったし、歴史や人間への興味も増したし、物事の本質を考えるのがとても楽しい」

 

「平和や戦争についてもちゃんと、考えるようになった」

 

 

それらのほとんどが黒川さんの本に書いてありました。

それも、前半の1・2章だけで多くのことに納得して、

気持ちもなんとなく楽になリました。

 

 

まず、黒川さんの書いていることを紹介します。

 

黒川さんの文をそのまま引用した部分と言い換えた部分があります。

 

 

⭐︎「ボケと思わず、老いは脳の優しい魔法と考える」

 

 若いときの身体を100点とするならば、

これから先、ゆっくりと点数は低くなっていく。  

それは、悲しむべきことでもないし、逆らうべきことでもない。

 

誰もが人生を卒業する。

60まで生きてきたら、

後は、その卒業をいかに楽に迎えるかが、人生最大のテーマである。

 

その観点から言えば、「老い」は、死を楽にするために、脳が与えてくれたプレゼントだ。

 

というのも

若く、生きる気満々の細胞のままで死んでいくことは、

かなり苦しいことだからだ。

 

動く気満々の心臓が止まるなんて、想像しただけでも苦しそうだし、

実際、そういう状況から生還した人は、そう言う。

 

 

反して

歩けなくなると、脳は世界観を小さくする。

 

玄関までも辿り着けないのに、

「世界の果てまで行ってみたい」という瑞々しい好奇心があったら、むしろ残酷だ。

 

この場合、脳はうんと世界を狭くして、外のことをわからなくする。

 

子ども等は、それを「ボケた」と言うが、見方を変えれば、脳が「優しい魔法」をかけてくれたのだ。

 

 

また、こんなこともある。

コーヒーゼリーを食べようと冷蔵庫を開けた時、

何かが頭にふわりと浮かんだけど・・・

それを捉えることができず、モヤモヤしたまま冷蔵庫を閉めてしまうことがある。

・・・

後になって

「そうだ、あの時、お肉を解凍しようと思ったんだ」と気づいて、苦笑・・・なんていうこともある。

 

こんなことがあると、

「老い」だと思って、ガッカリする人が多いけど、

 

実はそれは「回りすぎる脳を休ませるブレーキ」の可能性が高いので、怯えたり、悲しむのはやめよう。

 

 

 

また、会社経営や家事では

多方面に目をとどかせる必要がある。

 

多重リスクを効率よく回す能力・気づきの能力は

56歳がピークで60代は絶好調なのだ。

 

 

家の中で

一番気づいているのは誰か?考えたことがあるか。

 

例えば「ちらし寿司」を作るとする。

干し椎茸を戻す心配をするのは新米主婦でなく、

ベテランの60代主婦なのだ。

 

つまり、些細なことかもしれないが、家事ひとつをとっても

いろいろに気を巡らすことになる。

 

ベテラン主婦は

家族の数倍のことに気づき、さっさと片付けているわけだ。

 

ところが、娘たちときたら、そんな母を尻目に、パックにマッサージ、ドライヤーに余念がない。

髪の毛は散らしっぱなし、脱いだ下着は、投げ捨てられて洗濯籠にひっかかってる……。  

 

でもね、いつかきっと、

彼女たちも、いろんなことが気になってしかたなくなる日がやってくるんだ。

 

それが脳の成熟だからだ。

 

だから、今の私は、およめちゃんにとやかく言うつもりは毛頭ない。

彼女は、頭のいい、気働きのできる人なので、

きっと60代になったら、私と同じように、いやそれ以上に、いろんなことに気づきまくるでしょう。

 

そんな日がいつか来ると思ったら、かわいそう。

気づいてしまうことの苦しさがかわいそうなのだ。

無邪気に、自分のことだけ考えていられる時間は意外に短いからね。

 

 

家族の誰もベテラン主婦の気づきに着いて来れない。

そして、ベテラン主婦、本人も自分が気づきの達人に変貌したとは思ってないのだ。

もしかしたら、気の利かない主婦のまんまだから、と自己評価も低いまんまかもしれない。

 

で、何が起こるかというと

みんなは、気づいているくせに、誰もしてくれないと恨む。

 

いやそれは違う。若い人や夫は、気づいていないのだ。

若き日の私のように・・

 

 

では、仕事場ではどうかというと

56歳以上のベテランにとって、

35歳以下などは、半人前。

 

気が利かない、勘が働かない、言ってもわからない、発想力が乏しい「指示待ち人間」と映り、

「最近の若者は・・・」と言いたくなる。

 

 

60歳を過ぎたら、周囲を大目に見よう。

誰かが愚かに見えたら、「あー、自分が気づき過ぎているんだ」と思ってイライラを止めよう。

 

口を出すか、手を出すか、はたまた本人が自ら失敗して学んで、成熟するのを見守るかを冷静に選択しよう。

 

 

「今日できることは明日に持ち越すな」は

気づきの少ない若い人の座右の銘

 

60歳からの座右の銘

「明日できることは今日やらない」だ。

 

60歳を過ぎたら、気づいたことを全てやっていたら1日24時間では足りないからだ。

 

今後、身体機能が衰えて、歩けなくなったら、

さっきの冷蔵庫のエピソードのような

「ふと思い浮かんでは消える」が増えるだろう。

 

これは脳が衰えたわけでなく、

脳が身体の衰えに合わせていると思った方がいい。

 

だから、年を重ねたら、自力で歩くこと、体力を維持することが大切で、脳の心配より体力維持に専念しよう。

 

そして、好きなことで身体を動かすことが大切。

 

 

⭐︎「60代からの習い事は滅茶苦茶エクセレント」

 

若い人の何倍も気づきが起こり、

本質にたどり着くのがとても速いのだ。

 

言葉にならない感情情報収集力は20代を圧倒する。

学生時代には苦痛でしかなかった深淵の芸術など、

例えば書、能、茶道、伝統芸術といったものは

いつの時代も60代70代が多く嗜んでいる。

 

 

と、ざっと、『60歳のトリセツ』の前半部分を紹介しました。

 

 

黒川さんは64歳、私より、年下だけど、

私の9年間のモヤモヤとエネルギー過多を見事に言語化してくれました。

 

この本を読む直前なんですが、

 

中高生の頃、絵を描くより色を塗る作業が好きだったことをふと思い出し、

曼荼羅塗り絵」の本を買ってきて、塗り絵を始めました。

 

黙々と細かな部分の塗り絵に費やしています。

思いの他、スッキリするんです。

私にとっての「脳のブレーキ」になっているのかもしれません。