moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

「海の見える家 それから」から・・・

主人公と共に自然農法を学ぶ

 

はらだみずき著「海の見える家 それから」

 

南房総に移住した文哉が、

地元の幸吉さんから自然農法について学ぶ一場面を紹介します。

 

 

 

いただいた野菜のお礼を兼ね、海岸沿いの手前にある幸吉の畑を訪ねた。

が、姿が見えない。

 

 

少し待ってみることにして、畑の様子を伺った。

相変わらず、雑草だらけの畑だ。

背の高い草は生えていないが、ほぼ、土が見えない。

そのくせ、なぜかそこかしこで花が咲いている。

オレンジ色のマリーゴールドだ。おかしな畑だ。

 

 

 

だが、昨日もらった野菜、トマト、きゅうり、なすはどれも瑞々しく、香りが強く、そして味が濃かった。

 

 

それに比べて文哉のつくった野菜はといえば・・・。

水をやり、雑草もきちんと抜いているというのに。

 

「ーーーどうだ、あんちゃんの畑は?」

 背中で幸吉の声がした。

 

文哉はびっくりと背筋をのばし振り向く。

「すいません、勝手に入ってしまって。昨日いただいた野菜がとてもおいしかったもので、そのお礼に」

 

「ああ、気にすんな。どうせ、余ったもんさ」

 

 

穴のあいた麦わら帽子をかぶった幸吉が、

なぜか今までになく柔和な表情を見せた。

 

「で、あんたちゃんのほうはどうなんだ。

自給自足とやらはできそうかい?」

 

「いえ、それがなかなか・・・」

 

文哉は自分の畑の実情を正直に話した。

 

(中略)

 

 

文哉は腕を組み、首をかしげる

畑を前に並んだ幸吉の背丈は、文哉の肩くらいしかなかった。

 

「俺の畑とあんちゃんの畑の違いは何だかわかるか?」

幸吉が問いかけた。

 

「見た目ですか?」

「なんでもいいさ」

 

「ーー言ってもいいですか?」

「聞いてんだから、答えろや」

幸吉の細い声がひび割れる。

 

「まずですね」

文哉は思い切って口を開いた。

 

「この畑には畝がありません」

「ああ、たしかにな。あるようには見えんな」

 

「それに、雑草がかなり生えてます」

「かなりどころか、雑草だらけだ」

 

「つまり、正直なところ、僕には畑には見えないというか・・・」

文哉の小さくなった声に、幸吉は「ふっ」と息を漏らした。

 

「じゃあ、ここは何に見えるんだ?」

「そうですね、どちらかといえば、野原ですかね」

「そいつはいいや、はははっ」

 

幸吉が声を出して笑ったあと、真面目な口調になる。

「だがな、そりゃあ違う。

野原のように背の高いやつは生やしてないべ。

けど、そう言われるのは悪くねえ」

 

「いえ、でもですね、この野原、でななく幸吉さんの畑では、実際にあんなに美味しい野菜が取れるわけですからね。

驚きというか、謎というか・・・」

 

文哉は目の前にある、鈴なりに実をつけたミニトマトを見つめた。

もはやそれは木と呼べる大きさにまで生長している。

その地面もまた、10センチほどの高さまでの雑草に覆われている。

根本には、刈り取られたとみられる枯れた草が敷かれている。

 

「あんちゃん、時間あるか?」

「時間ならあります」

文哉は自嘲気味に笑い返した。

「ーーじゃあ、ちょっくら一緒に行ってみっか」

 

幸吉が文哉を乗せて軽トラックで向かったのは、

国道を挟んだ山側、車幅ギリギリの狭い山道に入り、10分とかからずに到着したのは、山野井農園近くの裏ぶれた農家だった。

 

今は人が住んでいないらしく、錆びたポストの受け口にはガムテープが貼られていた。

 

 

道路から敷地に軽トラックを入れると、

幸吉はすぐに裏手にある山に向かった。

説明はなく、文哉は黙って前を歩く幸吉の小さな猫背について行く。

平地から山の斜面へと差し掛かった時、

振り返ると遠く青い空の下に海が見えた。

空の色も海の色も梅雨明けを思わせる鮮やかな色合いをしている。

 

 

この辺りは少しひらけていて、大きな木は生えていない。

自然に生えたと思われる雑木が見られ、地面は緑で覆われている。

 

「こういうところを、野っ原というんだべ」

幸吉はつぶやき、奥へと分け入っていく。

 

文哉も後に続いた。

「おい、あんちゃん、こいつはなんだ?」

幸吉は立ち止まり指さす。

 

「この葉の形、どこかでみたことがありますね」

 

幸吉が黒く変色した爪でつまんだ葉をすりつぶすようにして、

文哉の鼻先へ近づける。

「この香り、鍋に入れるやつですね。」

「ああ、ミツバだ」

幸吉は五歩前に進む。

「じゃあ、こっちは?」

「あれー、これはなんだ?」

「葉を摘んでも、明日にはまた芽が出るってやつだ」

アシタバですか。こんな風に生えてるんですね。たくさんある。」

「これならわかんだろう?」

「はい、刺身のツマに使われる、シソです」

 

(略)

 

 

幸吉が額に深く皺を刻んだ顔を上げ、文哉を見た。

「今見つけたのは、食べられるいわゆる野菜だ。

どうだ、畑じゃなくても、ちゃんと育ってるだろう。

じゃあ聞くが、ここに誰かが畝を立てたのか?

わざわざ水をやりにきてんのか?」

 

「ーーいえ」

 

「菜というのはな、食べるために採られる草のことさ。

野菜とは、葉や茎や根を食べる草のことを言う。

つまりは、それがどこにあろうが、

採ったものが菜であり、

葉や茎や根を食べられるのが野菜っちゅーことだっぺ。

畑でできるものだけが、野菜じゃねえのさ」

 

「ーーたしかに」

 

文哉は口に巻き込んだ下唇を噛んだ。

近くでシジュウカラのさえずりが聞こえた。

 

幸吉の言うことはもっともだ。

文哉の足もとには、以前、幸吉からもらったスベリヒユもまた野菜なのだ。

 

 

 (略)

 

「俺はここで長年ビワをやってきた。

だが、子供たちが出て行き、母ちゃんが死んで、

山の斜面でビワを一人でやるには歳を取り過ぎた。

そいで山を下りた。

あっちの畑のほうは、はじめて10年くらいになるかな」

 

「長いんですね」

 

「ナーンも、たった10年さ。

あそこでは、たった10回、野菜を作っただけなのさ。

多くの野菜は、年に一度、あるいは2度しか収穫できんからな。

それまでこっちの畑は母ちゃんに任せてた。

それから、今のやり方に辿り着いたってわけさ」

 

「でも畑というのは、まず耕しますよね?」

「耕さねえ」

「けど、雑草を抜きますよね」

「抜きません」

「肥料は?」

「やらん」

幸吉は張りのある声で言った。

「もちろん、農薬も使わん」

「それが、あの畑ですか?」

 

「まあ、そういうこっちゃ。正直。

一度に作れる野菜の量は減ったろう。それでも今は食い切れん」

 

「でも、どうしてそんなやり方に変えたんですか?」

文哉はそれが聞きたかった。

 

人とは違うやり方をすれば、必ず白い目でみられる。

実際、文哉はあの畑を見た時違和感を覚え、落胆した。

少なくとも、よい畑だとは思えなかった。

今も内心疑っている。

 

(略)

 

 

「それはな、後悔したからよ。死んだばあさんに、もっと楽をさせてやりたかった」

 

「えっ?楽をですか?」

 

「ああ、早とちりすんな。

サボるのとは違う。

楽しく生きるってことさ」

 

文哉は思わず、唾を呑み込んだ。

 

 

それは、自分の考え方に通じるものだった。

 

高齢で頑固な幸吉の口から。

そんな言葉が飛び出してくるとは思いもしなかった。

 

「前に行った時、あんちゃんの畑には、いわゆる雑草は生えてなかった」

 

「はい、せっせと抜いていましたから」

 

「うちの畑も昔はそうしてたさ。

母ちゃんは死ぬ前日まで、せっせと草を抜いてくれてたからな。

近所の畑もそうだ。

じゃが、そういうやり方だけでもねえらしい。

話に聞いたのは、除草剤さ。見あての野菜は枯らさない薬とやらを畑に撒くんだとさ」

 

「雑草一本生えてない広い畑を見たことあんだろう?」

 

「ええ、あります」

 

「そうでもしなけりゃ、

あんなに広い畑や田んぼに全て草が生えなくなるわけがねえ。

俺には気味が悪いがな。

素人の家庭菜園を馬鹿にする奴がいるが、

金のために農業をやっている者の中には、

他人に食わせるものと、

自分たち家族が食うものを別々に作ってる輩がいる。

たくさん儲けようと欲をかき、そのためなら毒も盛るってわけさ。

でもなあ、化学薬品に頼る農業は、結局高くつく。

その分、またたくさん作らねばならなくなるわけさ」

 

毒とは、農薬と文哉は理解した。

 

「とはいえ、これまでたくさんの殺生を俺もしてきた。

人間の都合で同じ生き物を害虫と呼び、

この手で潰し、この足で踏みつけてな。

 

もうなるべくそういう真似はしたくねえ。

少しばかり、奴らに分けてやってもかまわねえ。

金をかけて、人よりたくさん作ろうとも思わない。

一緒に生えてくる草はな、抜かずに切るだけだ。

全部抜いたら、それこそ土の中は空っぽになるべ。

刈った葉や茎は夏には日除け、

冬には霜よけに使えるし、

やがては肥料になる。

残した根も、土の栄養となり、

作物にいい影響を与えるのよ」

 

 

耕しもせず、雑草も抜かず、肥料もやらず、農薬も使わず、それであんなに美味しい野菜が作れる。

しかもお金をかけず、楽に野菜が作れる。

だとすれば、それはとてつもない発明のような気がした。

 

 文哉はこれまで、会社を辞め、南房総に移り住んだことに引け目を感じていた。

自分は田舎に逃げてきたに過ぎない。

楽な道を選んだだけ、と言われても仕方ないと考えていた。

だから今の生活を誰にも知らせなかった。むしろ隠してた。

 

 

だが、今の幸吉の話を聞いて、自分の未来に少しだけ光が差した気がした。

 

人生を楽しもうとする姿勢は、間違いじゃない。

そのための考え方や知恵や工夫、

そして何より自分を信じる勇気が必要なのだ。

他人になんと言われようと。

 

(略)

 

「これまでいただいた野菜を口にして思ったんです。

野菜そのものの味がする。味が濃いって」

 

 それは嘘でもお世辞でもない。

 

幸吉の野菜には、野菜が本来持つであろう、野菜の味、深みのようなものをいつも感じた。

つまりは、味が複雑であり、旨いのだ。

「なんでか、わかったか?」

有機栽培だからですか?」

「いや、違う」

 

幸吉は首を横に振る。

「化学肥料や農業に頼らない点では同じかもしれん。

ただ、堆肥や有機肥料を用いるのが、有機栽培だ。

世間の人はありがたがってるが、

じゃあ、その堆肥や有機肥料はどっから畑に持ち込んでだ?

多くの場合、家畜のふんを使うが、

それこそ抗生物質漬けの家畜だったら、安全といえっか?」

 

「肥料にもそういった危険があるんですね」

 

「俺は余計なことはせん。

金をかけない、自然の力を最大限引き出すやり方よ。

自然農法なんて呼ばれてるらしい。

 

より自然な状態で作物を作る。

 

じゃが、生えた草をほったらかしにするわけじゃない。

野菜が育ちやすいように手助けをする。

刈り取った草は、捨てずに活かす。

そもそも自然には、ここで見たように、

野菜を育てるだけの力があるわけだからな」

 

 (略)

 

「あんちゃん、本気で畑をやる気あんのか?」

「もちろんです」

「へえー、そうかあ」

 

(中略)

 

「あんちゃんは面白い奴だなあ」

「え、そうですか」

 

「いや、今の若い奴は時間があるかって聞くと、

みんな必ず『忙しい』と答える。

あんちゃんは、『はい、時間ならあります』と答えた。

要するに、自分の時間を持っている。

それを自分で使える。

つまり余裕があるってこった。

時間がありさえすれば、いろんなやりようがある。

忙しいやつは、これしか方法がないと思い込み、

たいてい不幸そうな顔して生きてるもんさ」

 

幸吉の言葉に、文哉は深く頷いた。

 

私も幸吉さんの言葉の数々に深く頷きました。