moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

「デフ ヴォイス 法廷の手話通訳士」

 

69歳の私が、70歳を意識してのちょっと長い呟きです。

 

今日も、過去と今を結びつけながら

ブツブツ・・呟きたいと思います。

 

昨年、日本でも話題になった「コーダ あいのうた」という映画がありました。

 

家族の中で唯一耳が聞こえるのが主人公ルビーなので

家族の様々なことを手伝いながら高校に通いますが、

自分が進みたいのは音楽・・・そこで起きる苦悩や愛を描いた感動的な映画でした。

 

 

それよりもずーっと前の2011年に丸山正樹さんが

「デフヴォイス」を出版していました。

 

つい数日前ですが

オーディブル(愛用の耳読書アプリ)の中で

「デフ ヴォイス 法廷の手話通訳士」という本を見つけて一気に読み終えました。

 

読み終えた直後に

12月16日と23日にNHKで前編後編に分けて、

草彅剛さんの主演で、

この物語のドラマが放映されるという記事を見つけました。

 

で、ブログやポッドキャストでお知らせしようと思った次第です。

 

 

この「デフヴォイス」という本の主人公もコーダです。

勤めていた警察で、ある事件の手話通訳を行ったことから、

最近起った事件と対峙していくわけですが、

コーダ特有の苦悩がよく表されていました。

 

先に触れた「コーダあいのうた」を観るまで、私は

「コーダ」という言葉自体も知らず、ましてや苦悩などを推し量ったことは全くありませんでした。

 

コーダ(CODA)とはChildren of Deaf Adultsの略称で、耳が聞こえない、または聞こえにくい親のもとで育つ子どものことです。

両親ともに、もしくは一方がろう者・難聴者でも、聞こえる子どもはコーダとされています。

聞こえの程度には個人差があり、「ほとんど聞こえない」から「聞こえにくい」というものまで幅があります。補聴器を使用して音を聞き取ることはできても言葉が不明瞭であったり、大人数いる場所では話し声の区別が難しい場合もあります。

聞こえない親とのコミュニケーション手段は、手話や口話などですが、一切手話を使わない者もいるそうです。

また、聞こえない・聞こえにくい兄弟を持つ子どものことをソーダSODA/Sibling of a Deaf Adult/Children)と言います。

 

小説に表されていたコーダ特有の苦悩を探っていたところ「コーダあるある」という内容を見つけました。

コーダの当事者として活動する方の話を

ネットで発見しました。

とても具体的でわかりやすかったので、

理解を深めたいと思います。

 

「コーダあるあるエピソード」

 

1 聴こえない親と社会との軋轢

 

まず家庭では

 

①親は「あー」とかいう声で、

耳の聞こえる子供=コーダを呼ぶことができるが、

子供は親が自分を見ていないと呼んでいることがわかってもらえない。

 

そこで、どうするかというと・・机を叩いたり・・物を投げたり・・・する・・・と当然叱られることになります。

 

親がコーダを見ていなければ、一方通行なんです。

(これが繰り返されることを想像してください。)

 

「コーダあるあるエピソード」

  ②親にかかってきた電話の例

 

ある小学生が親にかかってきた電話に出て、

駐車場の契約更新の内容だったが、

限られた語彙数の小学生の手話で「駐車」が「注射」になって・・・

「注射を受ける場所」と親は解釈して、病院やお医者さんの話と理解して・・・になって、

結局、駐車場の契約更新がされず車を停められなくなったという例

 

 

「コーダあるあるエピソード」

 ③親と一緒にTVを観ていて、ドラマやコントを子供が説明しなくちゃならなくなって・・・子供はTVを楽しめなくなったという例

 

 

「コーダあるあるエピソード」

2 家庭外でも

学校や役所や病院などで、子供にとっては難しい内容の手話を通訳しなくてはならず、中には極端に手話が嫌いになったコーダもいるとか。

 

「コーダあるあるエピソード」

3「ろう文化」

①手話では相手や自分指さすのはごく普通のことですが、

聞こえる人の中では失礼なこととなる場合があります。

 

つまり、親子の間で慣れていることが失礼になるわけです。

(ある程度の年齢になれば分けて理解できるでしょうが・・・ですね。)

 

 

「コーダあるあるエピソード」

 ②親が文章を書くのが苦手な場合

手話には助詞がないので、人によってはスムーズに文章が書けないことがあります。

コーダ自身が学校の連絡帳を書いたり、親の文章を添削したり・・・

コーダ自身の能力もありますが、繰り返していくうちに負担も出てくるでしょうし、

「どうしてうちの親は書けないの?」という気持ちも抱いたりするでしょう。

 

 

「コーダあるあるエピソード」

  ③周囲

周囲の人から

「通訳してあげて、親は聞こえないんだから」

「あんたがしっかりしないとね」

「偉いね。頑張ってね」

「かわいそうね。苦労しているんでしょ?!」という言葉がかけられて・・・

 

コーダは

障がい者の子どもなんだから、しっかりしなくちゃ」

「嫌われないようにしなくちゃ」と絶えず意識するようになって・・・

 

周囲から「哀れみ」「侮蔑」「ねぎらい」の言葉がかけられても

親のことを気遣い、親にこれらの言葉も伝えず、

多くの場合、コーダは一人で受け止めることになるというのです。

 

 

 

「コーダあるあるエピソード」を紹介しましたが

こうして読んでみると

頷けることがたくさん、たくさんありますね。

 

言われれば思い当たるのに、69年間、ほんの少ししか想いを巡らしてきませんでした。

(医療・福祉場面とのつながりを持っていた仕事なのにです。)

 

 

映画「コーダ あいのうた」でも

主人公のルビーが、高校生なのに漁師組合の話し合いに出席して、

契約や制度の難しい内容を通訳している場面がありました。

 

 

「デフヴォイス」でも

先ほどの「あるある」の内容が積み重なったであろうと、

主人公の生い立ちが容易に想像できました。

 

 

最近「ヤングケアラー」が話題になって、「相談しようよ」と呼びかけていますね。

 

子として、「ケアラー」の部分は確かに背負わなくてはならないかもしれませんが、

子は子の楽しむ権利をちゃんと受けられるような雰囲気を

私たちも作っていきたいものです。

 

ということで、12月16日NHKを観ましょう。

 

今日は「コーダ」について呟いてみました。