moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

独り言

 

☆今まで「70歳」というテーマで、

来年満70歳を迎える私の「今」と「昔」を絡めて書いたり、語ったりしてきました。

 

 

やがては全てが、消えるものですが

 

やっぱり

残してみたかったり、言ってみたかったり

どうしてもあがきたくなります。

 

 

新年ということもありますが

「70歳」という題を変更します。

 

昨年末から、なんとなく・・・

年齢という数字にこだわらなくてもいいかという気持ちになりました。

 

これまで、本や映画やテレビ番組に触れながら、

今感じることを述べてきましたが、

 

評論でもないので、

新しい題名は

「独り言」にします。

 

 

☆前回のポッドキャスト配信やブログで

年末年始やクリスマスのイベントなどから、解放されていると言いました。

 

そう、

言葉で書いたり、言ったりすると

なお一層、私の頭の中で、

その意識が確固たるものになり、

肩こりのような重さがなくなりました。

 

 

例年になく、首こりや肩こりのない年明けになりました。

 

一応世間に合わせて、

人に会えば「おめでとうございます」

「本年もよろしくお願いします」と挨拶しました。

 

で、ふと感じたのですが・・・

例年と同様の言葉を吐きながらも

気分が新鮮でしたし、ちゃんと言おうと、意識したことは

とても不思議な感覚でした。

 

 

☆ここ数年、

私からの賀状は書いていないのですが

 

それでもいただいた賀状には

「寒中お見舞い」でお返事しています。

 

先方のお顔を思い浮かべながら、手持ちのハガキを選んで、

賀状よりはちょっとだけですが、多めのメッセージを書いています。

 

「寒中お見舞い」なので、焦る必要もなく、時間がかけられるので、送る相手の顔や思い出に浸って書くのもなかなか楽しいものです。

 

 

 

☆ハガキといえば・・・

 

娘は東京の自由学園の高校に進み、

そのあとアメリカにいく準備の1年、

合わせて4年を東京の寮で過ごしました。

 

自由学園の後半と留学準備の合わせて

2年くらいでしたか?

 

私は、娘に、毎日一枚づつのハガキを書いて送っていました。

 

朝、最寄りの駅まで高校生の息子を車で送った後、

駐車場に停車させて、ハガキを書いてポストに・・・が多かったですね?!

 

自由学園へは

本人の希望もありましたが

私と、主人の母の希望でもありました。

 

大学から東京に・・・が普通なんでしょうが・・・

高校の学費に加えて・・・寮での生活費など、

経済的には大変でしたが

自由学園で学ぶことは大きいはず、という考えがありました。

 

 

とはいえ、早すぎるかもしれない娘の自立に

「核」だけはしっかり伝え続ける必要があると思いました。

 

その方法が「一日一通」だったんです。

 

「あなたは大塚家の一員だよ」と言い続けるだけが親のつとめと思っていたので、ハガキを出すことで伝えようと思ったわけです。

 

あとは、勝手に育っていくはず・・・とも思いました。

 

 

ということで、娘が捨てずに東京から引き上げてきたハガキを、押入れから出してみました。

 

結構なハガキの数に、投函した私もびっくり!

 

時間のない中に書いていたはずなのに・・・ハガキ面!

 

娘のことを気遣う手紙というよりは・・・私の日記でした。

 

 

「大塚家の一員」だけでなく

 

今、思えば・・・私の「押し付け」でした。

 

 

 

あとで教えてもらったことですが、

 

「一日一信」(毎日一通の手紙を書いて送る)それを1000日続ける修行があるというのです。

 

私は2年くらいなので、1000までには届いていません。

つまり修行も道半ば・・・

 

「だから悟ってないんだ」ということですね。

 

ブログとポッドキャストでの「独り言」は続きます。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

独り言

 

☆今まで「70歳」というテーマで、

来年満70歳を迎える私の「今」と「昔」を絡めて書いたり、語ったりしてきました。

 

 

やがては全てが、消えるものですが

 

やっぱり

残してみたかったり、言ってみたかったり

どうしてもあがきたくなります。

 

 

新年ということもありますが

「70歳」という題を変更します。

 

昨年末から、なんとなく・・・

年齢という数字にこだわらなくてもいいかという気持ちになりました。

 

これまで、本や映画やテレビ番組に触れながら、

今感じることを述べてきましたが、

 

評論でもないので、

新しい題名は

「独り言」にします。

 

 

☆前回のポッドキャスト配信やブログで

年末年始やクリスマスのイベントなどから、解放されていると言いました。

 

そう、

言葉で書いたり、言ったりすると

なお一層、私の頭の中で、

その意識が確固たるものになり、

肩こりのような重さがなくなりました。

 

 

例年になく、首こりや肩こりのない年明けになりました。

 

一応世間に合わせて、

人に会えば「おめでとうございます」

「本年もよろしくお願いします」と挨拶しました。

 

で、ふと感じたのですが・・・

例年と同様の言葉を吐きながらも

気分が新鮮でしたし、ちゃんと言おうと、意識したことは

とても不思議な感覚でした。

 

 

☆ここ数年、

私からの賀状は書いていないのですが

 

それでもいただいた賀状には

「寒中お見舞い」でお返事しています。

 

先方のお顔を思い浮かべながら、手持ちのハガキを選んで、

賀状よりはちょっとだけですが、多めのメッセージを書いています。

 

「寒中お見舞い」なので、焦る必要もなく、時間がかけられるので、送る相手の顔や思い出に浸って書くのもなかなか楽しいものです。

 

 

 

☆ハガキといえば・・・

 

娘は東京の自由学園の高校に進み、

そのあとアメリカにいく準備の1年、

合わせて4年を東京の寮で過ごしました。

 

自由学園の後半と留学準備の合わせて

2年くらいでしたか?

 

私は、娘に、毎日一枚づつのハガキを書いて送っていました。

 

朝、最寄りの駅まで高校生の息子を車で送った後、

駐車場に停車させて、ハガキを書いてポストに・・・が多かったですね?!

 

自由学園へは

本人の希望もありましたが

私と、主人の母の希望でもありました。

 

大学から東京に・・・が普通なんでしょうが・・・

高校の学費に加えて・・・寮での生活費など、

経済的には大変でしたが

自由学園で学ぶことは大きいはず、という考えがありました。

 

 

とはいえ、早すぎるかもしれない娘の自立に

「核」だけはしっかり伝え続ける必要があると思いました。

 

その方法が「一日一通」だったんです。

 

「あなたは大塚家の一員だよ」と言い続けるだけが親のつとめと思っていたので、ハガキを出すことで伝えようと思ったわけです。

 

あとは、勝手に育っていくはず・・・とも思いました。

 

 

ということで、娘が捨てずに東京から引き上げてきたハガキを、押入れから出してみました。

 

結構なハガキの数に、投函した私もびっくり!

 

時間のない中に書いていたはずなのに・・・ハガキ面!

 

娘のことを気遣う手紙というよりは・・・私の日記でした。

 

 

「大塚家の一員」だけでなく

 

今、思えば・・・私の「押し付け」でした。

 

 

 

あとで教えてもらったことですが、

 

「一日一信」(毎日一通の手紙を書いて送る)それを1000日続ける修行があるというのです。

 

私は2年くらいなので、1000までには届いていません。

つまり修行も道半ば・・・

 

「だから悟ってないんだ」ということですね。

 

ブログとポッドキャストでの「独り言」は続きます。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週思ったこと・ドラマ・映画いろいろ・・

☆以前、私の頭痛は「気象病」によるものと言いました。

よく「膝が痛いから、今日は雨だよ」とかというふうに、

不調を雨との関係でいうことがありますが、

気象病は厳密にいうと雨ではなさそうで、あくまで気圧の変化みたいです。

 

というのも、

今日、晴れています。

でも先ほど、結構ひどい頭痛があって・・・

気象病のアプリを開いてみたら、

いちばんひどい爆弾マークの真っ只中を示していたのです。

今、頭痛は軽減しています。

アプリを再度確認してみたら、「やや注意」の表示になっていました。

 

 

☆「明日できることは今日やらない」とどこかに書いてあった言葉が

今週は何度となく頭に浮かびました。

そんな感じで、やっていきましょう。

 

 

☆年末になると、思い浮かぶ光景があります。

 

小学生の頃でした。

母が予約した美容院、その頃はパーマ屋さんと言っていましたが、連れていってもらいました。

 

小さい頃は「桃割れ」という髪型、

少し大きくなると「新日本髪」を結ってもらいました。

確か姉はいわゆる「日本髪」でした。

 

帰宅すると、普段着っぽい着物を着て・・・とは言っても母や姉のお下がりの見るからに古い着物でした。

 

結った髪で寝るのは、大変でした。

時代劇で見るような高いの枕はなかったので、

タオルを巻いて工夫したような・・・???

 

1月の3日とか4日には、再度パーマ屋さんに行って、

なでつけてもらいました。

で、

これもお下がりの晴れ着を着て、

大きな神社やお寺、例えば明治神宮とか浅草寺とかに初詣に行きましたし、

お稽古事の初稽古や新年会に行きました。

 

年末年始のパーマ屋さんは本当に混んでいて・・・という光景を思い出します。

 

 

 

☆以前のポッドキャストやブログで

「デフボイス 法廷手話通訳士」について話題にしました。

 

NHKの「ハートネットTV ドラマ・デフヴォイス舞台裏に密着」を観てから

「デフヴォイス 法廷の手話通訳士前編」を観て、

昨日の「後編」も観ました。

 

サスペンスドラマですが、

背景にコーダが背負ったものが中心にあり、

聾者の俳優さんたちの演技は目を見張るものでしたし、

かなり見応えのあるドラマでした。

 

 

☆今日は・・・

私がどんだけドラマ好きかわかってしまいそうですが・・・

 

私は好きなドラマはリアルタイムではあまり観なくて、

必ず録画して自由な時間にゆっくり鑑賞するスタイルなんです。

 

今回話題にするのは、

録画はもちろん撮りましたが、

その録画を、リアルタイムから、15分くらい遅れてから観始めるんです。

そうするとCMを飛ばしながら観れるからです。

 

今シーズンで、そんな見方をしたドラマは、

「いちばんすきな花」というドラマでした。

 

好きな俳優さんが出演するという期待がいちばんでしたが、

生方美久さんの脚本というのも、なんかウキウキしました。

 

放送開始めてから、

賛否が分かれるドラマだったようですが、

私としては

魅力的なセリフの数々と、

セリフで説明し切らず、私たちに想像させてくれたこと。

 

で・・・最終的には、

「あのセリフや小道具はこういう意味だったのね。」という軽い推理を解いてくれるスッキリ感などがありました。

 

とはいえ・・・

最近のドラマの会話はテンポが速く、聴き逃したり、意味が汲み取れなかったりもあり、録画で再度見直しています。

 

このドラマは

日常に起こるちょっとしたいざこざはあるものの、

大きな盛り上がりはなく、

淡々としていて、何気に変化していったりする様(さま)が心地よくて、

毎週、ちょい遅れのCM飛ばしで楽しみましたし、録画を2度くらいは観ていました。

 

あるYou Tuberが「随筆的ドラマ」と称していましたが、

そんな感じですかね。

 

 

 

 

☆話は変わって、私の地元鹿児島県の美山の名士というか・・・

陶器、薩摩焼を400年引き継いできた沈寿官さんのドキュメンタリー映画を観てきたので、

「ちゃわんやのはなし」というドキュメンタリー映画

それについても触れたいと思います。

 

 

30数年前、鹿児島で家を建てるために、

日曜ごとに鹿児島市郊外を車で、まわっていました。

 

私たち夫婦は、東京からの鹿児島に移住したのです。

 

鹿児島市から串木野方面に向かう途中、

それまでの風景とは異なる街並みに心惹かれました。

 

薩摩焼の郷とあり、美山という地名でした。

 

 

その一風異なる雰囲気の街並みが

夫婦でいつまでも心に残り、

相談をしていた不動産屋さんに美山を希望にして、

現在の場所に家を建てました。

 

大好きな司馬遼太郎との縁もある場所というのでびっくりしました。

 

 

司馬遼太郎は、14代沈寿官さんから

420年前の朝鮮から連れてこられた陶工たちの話を聞き、

「故郷忘じがたく候」を書きました。

 

薩摩ばかりでなく、佐賀、萩など日本各地に

朝鮮から渡ってきた陶工たちが

その素晴らしい技術を根付かせていたということも

映画では語っていました。

 

沈寿官窯は

私たちが移住してきての30数年前から親しく身近にあった窯元さんですが、

今回この映画を観て、改めて、

「伝統を引き継ぐこと」と同時に「新しくなっていくこと」を考えるきっかけになりました。

 

「美山の街並みを通ると独特の気の流れを感じますね」

と、ある友人が言ったのですが・・・

 

私も同様のものを感じたような気がします。

 

来年も初詣は「玉山神社」に歩いて行こうと思います。

玉山神社に行くと、深ーい呼吸、息が深く吸える感覚をいつも感じます。

解放感、「PERFECT DAYS」、田村さん・・・

☆今日は大晦日

ここ数年、年末といえども普段と変わらぬ日々、時間を過ごしています。

 

夫婦だけで過ごすようになって、行事的なことから解放されました。

 

「クリスマス」も「大掃除」も「おせち作り」も「子供たちの帰省」も無ーーーしです。

 

少しだけですが、

お仕事も、夫婦して年末年始も入れました。

 

ある人は、「そんな生活、寂しいんじゃない」と言ったりするんでしょうか?

 

ちょっとした寂しさはある??

この上ない「解放感」の方が強いかな?!

 

淡々と自分の生活や、やりたいことに没頭できる喜びを感じています。

 

子供が小さい頃、思春期を迎えた頃、常勤の仕事をしていた頃と、

思い返してみても、

何かにせっつかれるように、あるいは何かに枠を決められるように暮らしていたような・・・

そしてそれらに合わせられない自分に腹立ち、あるいは「みんなやっているのに・・・」と思ったりして、苦しかったなーーーと思い返しています。

 

ここ数年、「適当でいいや」「やりたければやる」という感じに思った時、長年背負ってきた肩こりがスーッと楽になりました。

 

それでも

長年体に染みついた「クリスマス」や「お正月」は

身体に、そして脳にあります。

 

ちょっとお正月やクリスマスの雰囲気を味わいたい時は

テレビを観たり、街に出たり・・・

 

幸か不幸か

コロナ禍以降、街でも、無駄な騒がなくなったようで・・・

 

元来、一人遊び好きの私としては気楽な世の中になってむしろホッとしているところです。

 

 

 

☆そう、先日、映画を観に鹿児島市まで行きました。

ゆったりした時間の流れる映画を観た後、

何か食べようと、繁華街をぶらぶら・・・

今夜はクリスマスイブだったと思い出しました。

 

が・・・繁華街のアーケードにちょっと電飾があるくらいで、

クリスマスソングも流れていないし・・・人通りも少なくて・・・

 

クリスマスイブに、老夫婦で立ち寄ったのは鰻屋さんでした。

想像以上に、そこそこのお客さんが入っていて・・・

クリスマスイブに鰻を食べる人たちに何やら親近感を持ちました。

 

 

 

☆先週、ブログとポッドキャスト

 

ドラマ「いちばんすきな花」を取り上げました。

 

大きな盛り上がりもないけど、

一人一人の台詞や仕草が魅力的でした。

ある人が「随筆のようなドラマ」と言った言葉にも触れました。

このドラマが若者が主役を務めていました。

 

なぜここで、先週触れたドラマを話題にするかと言いますと、

クリスマスイブに観た映画は

「高齢者の随筆のような・・・映画」だったからです。

 

 

役所広司主演の「PERFECT DAYS」です。

そう、随筆のような映画でした。

 

小さな出来事はあるものの、淡々と日常を描いているのです。

 

特に印象的だったのは

毎朝玄関を開けた時の主人公の静かな笑みです。

特に前半は台詞が少なく、

観ている側が、

この人はどんな歴史があって、どんな性格なんだろう?と想像を掻き立てられます。

主人公ばかりでなく、あの人やこの人はどんな人?どんな思い?・・・と言う具合に・・・

 

観た直後は心地よい感覚のみで、感想も出なかったのですが

翌日、翌々日と・・・何度となく出演者の表情とか情景とかが思い出されるという不思議な映画でした。

 

 

☆BS番組を観ていたら、「昭和の歌謡曲100曲のCD」のCMがありました。

 

昔の流行歌はみんながみんな知っていたので、

私でも流れる歌のほとんどを口ずさむことができました。

 

売り手の目論見に引っ掛かるように、「欲しい」と思い、ネット検索しかかりましたが・・・

購入の優先順位が上位ではないと、思いとどまりました。

 

もし、何かの折に、娘が「何か欲しい物ある?」と訊いてきたら、

これをリクエストしましょう。

 

 

NHKのTVを観ました。

1960年代「なかよし」や「りぼん」など少女雑誌の表紙絵で、一世を風靡した田村セツコさんを扱ったTV番組でした。

 

「なかよし」「りぼん」はドンピシャ世代です。

表紙絵は私の胸をくすぐりました。

 

現在85歳の田村さん、

創作活動の傍ら、6年間にわたり母とパーキンソン病の妹のダブル介護も経験したそうです。

周囲の人が「大変」と言う中、

好奇心で“楽しい介護”を探求したというのです。

 

そして、「孤独」についてもとてもポジティブな言葉を言っていて・・・

 

読書リストに田村さんの本も加えてみようと思いました。

 

今週思ったこと・ドラマ・映画いろいろ・・

☆以前、私の頭痛は「気象病」によるものと言いました。

よく「膝が痛いから、今日は雨だよ」とかというふうに、

不調を雨との関係でいうことがありますが、

気象病は厳密にいうと雨ではなさそうで、あくまで気圧の変化みたいです。

 

というのも、

今日、晴れています。

でも先ほど、結構ひどい頭痛があって・・・

気象病のアプリを開いてみたら、

いちばんひどい爆弾マークの真っ只中を示していたのです。

今、頭痛は軽減しています。

アプリを再度確認してみたら、「やや注意」の表示になっていました。

 

 

☆「明日できることは今日やらない」とどこかに書いてあった言葉が

今週は何度となく頭に浮かびました。

そんな感じで、やっていきましょう。

 

 

☆年末になると、思い浮かぶ光景があります。

 

小学生の頃でした。

母が予約した美容院、その頃はパーマ屋さんと言っていましたが、連れていってもらいました。

 

小さい頃は「桃割れ」という髪型、

少し大きくなると「新日本髪」を結ってもらいました。

確か姉はいわゆる「日本髪」でした。

 

帰宅すると、普段着っぽい着物を着て・・・とは言っても母や姉のお下がりの見るからに古い着物でした。

 

結った髪で寝るのは、大変でした。

時代劇で見るような高いの枕はなかったので、

タオルを巻いて工夫したような・・・???

 

1月の3日とか4日には、再度パーマ屋さんに行って、

なでつけてもらいました。

で、

これもお下がりの晴れ着を着て、

大きな神社やお寺、例えば明治神宮とか浅草寺とかに初詣に行きましたし、

お稽古事の初稽古や新年会に行きました。

 

年末年始のパーマ屋さんは本当に混んでいて・・・という光景を思い出します。

 

 

 

☆以前のポッドキャストやブログで

「デフボイス 法廷手話通訳士」について話題にしました。

 

NHKの「ハートネットTV ドラマ・デフヴォイス舞台裏に密着」を観てから

「デフヴォイス 法廷の手話通訳士前編」を観て、

昨日の「後編」も観ました。

 

サスペンスドラマですが、

背景にコーダが背負ったものが中心にあり、

聾者の俳優さんたちの演技は目を見張るものでしたし、

かなり見応えのあるドラマでした。

 

 

☆今日は・・・

私がどんだけドラマ好きかわかってしまいそうですが・・・

 

私は好きなドラマはリアルタイムではあまり観なくて、

必ず録画して自由な時間にゆっくり鑑賞するスタイルなんです。

 

今回話題にするのは、

録画はもちろん撮りましたが、

その録画を、リアルタイムから、15分くらい遅れてから観始めるんです。

そうするとCMを飛ばしながら観れるからです。

 

今シーズンで、そんな見方をしたドラマは、

「いちばんすきな花」というドラマでした。

 

好きな俳優さんが出演するという期待がいちばんでしたが、

生方美久さんの脚本というのも、なんかウキウキしました。

 

放送開始めてから、

賛否が分かれるドラマだったようですが、

私としては

魅力的なセリフの数々と、

セリフで説明し切らず、私たちに想像させてくれたこと。

 

で・・・最終的には、

「あのセリフや小道具はこういう意味だったのね。」という軽い推理を解いてくれるスッキリ感などがありました。

 

とはいえ・・・

最近のドラマの会話はテンポが速く、聴き逃したり、意味が汲み取れなかったりもあり、録画で再度見直しています。

 

このドラマは

日常に起こるちょっとしたいざこざはあるものの、

大きな盛り上がりはなく、

淡々としていて、何気に変化していったりする様(さま)が心地よくて、

毎週、ちょい遅れのCM飛ばしで楽しみましたし、録画を2度くらいは観ていました。

 

あるYou Tuberが「随筆的ドラマ」と称していましたが、

そんな感じですかね。

 

 

 

 

☆話は変わって、私の地元鹿児島県の美山の名士というか・・・

陶器、薩摩焼を400年引き継いできた沈寿官さんのドキュメンタリー映画を観てきたので、

「ちゃわんやのはなし」というドキュメンタリー映画

それについても触れたいと思います。

 

 

30数年前、鹿児島で家を建てるために、

日曜ごとに鹿児島市郊外を車で、まわっていました。

 

私たち夫婦は、東京からの鹿児島に移住したのです。

 

鹿児島市から串木野方面に向かう途中、

それまでの風景とは異なる街並みに心惹かれました。

 

薩摩焼の郷とあり、美山という地名でした。

 

 

その一風異なる雰囲気の街並みが

夫婦でいつまでも心に残り、

相談をしていた不動産屋さんに美山を希望にして、

現在の場所に家を建てました。

 

大好きな司馬遼太郎との縁もある場所というのでびっくりしました。

 

 

司馬遼太郎は、14代沈寿官さんから

420年前の朝鮮から連れてこられた陶工たちの話を聞き、

「故郷忘じがたく候」を書きました。

 

薩摩ばかりでなく、佐賀、萩など日本各地に

朝鮮から渡ってきた陶工たちが

その素晴らしい技術を根付かせていたということも

映画では語っていました。

 

沈寿官窯は

私たちが移住してきての30数年前から親しく身近にあった窯元さんですが、

今回この映画を観て、改めて、

「伝統を引き継ぐこと」と同時に「新しくなっていくこと」を考えるきっかけになりました。

 

「美山の街並みを通ると独特の気の流れを感じますね」

と、ある友人が言ったのですが・・・

 

私も同様のものを感じたような気がします。

 

来年も初詣は「玉山神社」に歩いて行こうと思います。

玉山神社に行くと、深ーい呼吸、息が深く吸える感覚をいつも感じます。

「JFK/新証言」「TILL」ちょっと「福田村事件」

小学生の時、

アメリカ大統領ジョン・F・ケネディJFK)が暗殺されました。

 

そのニュースのことを思うとき、

なぜか思い出す風景があります。

当時住んでいた東京文京区の

地下鉄丸の内線の本郷三丁目駅周辺の風景なんです。

 

文京2中の前の道から

本郷三丁目駅に入り、

通り抜けて本郷通りに出る小道の右側に

レコード屋さんと喫茶店「麦」の看板のある風景なんです。

 

なぜか頭に思い浮かぶのです。

パレードで狙撃される映像を思うと

本郷・・が思い浮かぶのです。

どう関連しているかはわかりません。

 

1990年頃、『JFK』という映画が世に出ました。

その時も本郷三丁目駅、特に「麦」の看板が浮かびました。

 

偉人の伝記も読むのが好きだった私ですが、

ジョン・F・ケネディについては

暗殺されてから

「人となり、功績」を貪るように読んだ覚えがあります。

 

そこには、亡くなったからこその美化もあったでしょうが、

他国の大統領では済まない悲しみというか残念さ・無念さが

大きかったと思います。

 

子どもの時代に衝撃度ランキングを作っていたら

かなり上位に来る出来事だったような・・・

 

犯人がまもなく捕まったと思ったら、殺されて・・・

 

小学生とはいえ、「口封じ」とか「陰謀」と思いました。

 

映画「JFK」も

さまざまなことをよくぞ晒してくれたと思いましたが、

今回のドキュメンタリー「JFK/新証言 知られざる陰謀」は

新たに解禁された数100万ページの機密解除文書と

メディアが無視し続けてきた真相を晒しています。

 

何せ60年前のことなので、

証人は超高齢あるいは亡くがなっていて・・・

奥さんが旦那さんから聞いたことや

お嬢さんに託された証拠などもあり、

歳月を感じました。

反対に「今だから明かせる」のだろうかとも思いました。

 

犯人とされたオズワルドだって仕組まれた犯人であったとか、

事件当日のさまざまな証言が無視されたり、削除されたことが

物語っていますよね。陰謀だってことを・・・

 

ドキュメンタリー映画の中では、明らかにしていませんが

製作者たちには、陰謀者の名前もきっとわかっているんだろうな????

 

数年後、キング牧師が暗殺されました。この犯人にも黒幕が・・・というのが定説ですね。

 

ため息がつい出てしまいます。

 

JFKのことを思うと同時に「本郷三丁目駅周辺」が浮かぶと冒頭に述べましたが・・・

思い返すと、

小学生時代の散歩の場所で、

お気に入りのレコードを買うのも本郷三丁目でした。

 

だから物思いもこの散歩の時だったからかな?

 

JFKはなぜ死んだんだろう」と考えていたのかしら?

 

まあ、この話は置いておいて・・・

 

JFKの暗殺の8年前に起こった

「エメット・ティル殺害事件」の被害者の母のを描いた「TILL」という映画も観てきました。

 

14歳の息子ボボが

シカゴから、南部のミシシッピー州マネーの親戚の家族と好奇心あふれる休暇を過ごします。

ボボの育ったシカゴでも黒人差別はあるものの、

南部の比ではなかったのです。

ボボはやはり、軽く見ていました。

白人至上主義の社会をです。

従兄弟や叔父が気遣うのですが、

ボボは天真爛漫でした。

白人社会との触れ方のちょっとした間違い?から

白人等によって、

ボボは連れ去られ、リンチに合い、ひどい状態の遺体で発見されたのです。

犯人は逮捕され裁判が開かれんですが、

白人至上主義社会での裁判であり、

犯人は無罪になります。

その経過で、母が何を考え、起こした行動が描き出された映画でした。

 

 

今年公開された日本の映画「福田村事件」があります。

関東大震災後の混乱および流言蜚語(リュウゲンヒゴ)が生み出した社会不安の中で、香川県からの薬の行商団15名が福田村および田中村それぞれの自警団に暴行され、9名が殺害された事件の映画です。 

 

映画「TILL」も「福田村事件」も日本では今年同時に公開されたのには縁を感じます。

私の中の「うごめくもの」を見つめ直す機会にしたいと思います。

 

「TILL殺害事件」は

アメリカでは、多くの黒人の当事者意識に火をつけ、その後の公民権運動に影響をもたらしました。

 

福田村事件は?

歴史の授業で「りゅうげんひご」に気をつけようとは聞いたけど、

本質を考えることもなく生きてきてしまいました。

 

ということで

今日はドキュメンタリー映画JFK/新証言 知られざる陰謀」と

実話に基づく映画「TILL」とちょっとだけ「福田村事件」の話でした。

 

ありがとうございました。

「蟻の王」を観て

来年70歳なので、

否が応でも「老化」と向き合っている今日この頃ですが、

映画や日常の出来事から、

「あの頃」と今を絡めてアウトプットしようと始めたブログやポッドキャストです。

 

同じ内容なので、ブログでは文字版、ポッドキャストは耳版というわけです。

 

 

 

 

今週は2本の映画を観ました。

 

1本目は「蟻の王」

 

1960年代、アルドは、蟻の生態研究者であり、詩人・劇作家でした。

同性愛者のアルドに対しての町の人たちの目は厳しいものでした。

 

エットレという若者が、アルドに出会い、恋して・・・

家族の反対を押し切ってアルドとローマに移り住みました。

 

エットレの母と兄は、ローマにきて、エットレを連れ去ってしまいます。

そして、同性愛を正すための治療と称して、精神病院ではエットレに電気ショックの治療を行っていくのです。

 

1965年エットレの母と兄がアルドを訴え、アルドは逮捕されます。

ファシスト政権下で成立した教唆罪で、アルドは裁判を受けることになります。アルドがエットレを洗脳し、同性愛を強要したというのです。

 

電気ショックの後遺症でしょう、かつての美しい顔や表情を失ったエットレは裁判で、事実無根と証言しますが、裁判は一方的に進んでしまいます。

 

この時代、同性愛は許されない事であり、不公平な裁判が行われるという実話を元にした映画でした。

 

この映画の時代1960年代、今から60年程前には、

同性愛は病気だからと言われたり、若い相手であれば「そそのかした」ということで犯罪になっていました。

 

この映画はイタリアが舞台です。

 

ちょっと前ですが、

ドイツを舞台にした「大いなる自由」という映画を観ました。

 

第二次大戦後のドイツでは、男性の同性愛を禁じていた「刑法175条」を背景に、「愛する自由」を求めて20余年、闘い続けた男を描く物語でした。

 

1871年から1994年までの123年間施行されていた「刑法175条」ですが、

ナチスの時代、さらに厳罰化された刑法で、

処罰者は14万人にも及んだというのです。

 

2つの映画を観て、

イタリアの「蟻の王」は1960年代まで

ドイツの「大いなる自由」は1994年まで「刑法175条」が施行されていたこと

 

つまり、ごく、最近までこんなことがあったんだということにびっくりなんです。本当につい最近ですよね。

 

 

欧米至上主義じゃありませんが、

LGBTQなどの意識についてはヨーロッパの方が進んでいると思い込んでいたからです。

 

 

イタリアは

今は同性愛者に対する偏見や差別感情はだいぶ弱まってきたそうです。

教唆罪という名を借りて、罪として扱われなくなっているそうです。

 

 

日本でも現在多くの人たちが差別を受けたり、

反対に、感覚的に受け入れられないと思う人が多かったり、無知だったり、知ろうとしなかったり、多くの問題はあります。

 

少なくとも法律では裁いていませんね?

特に戦前や戦時中は、こじつけで牢屋に入れようとしたかもしれませんが・・・

 

映画を観て、「厳格なキリスト教文化」の背景が強く影響していることを感じました。

 

シチリア・サマー」という映画が鹿児島では来年1/5から公開されるます。これも実話に基づき、1982年のシチリアで恋に落ちた少年たちが辿る衝撃的なプロセスを描いているとのこと、ぜひ観に行こうと思っています。

 

 

最後に話はちょっと逸れるかもしれませんが、

ゲイの治療と称して、「電気ショック療法」が使われていたという話に関連してなんですが・・・

私はかつて精神科の病棟実習で、「電気ショック療法」の見学をしたことがあります。とても古い建物の閉鎖病棟で、畳の大部屋に数人の看護スタッフ(主に男性のスタッフ)と中年の医師がいました。

 

と、話は戻します。

 

当初、「蟻の王」に加えて、

 

ミニシアターで観た「JFK/新証言 知られざる陰謀」についても述べようと思ったいました。

 

前回、とても長かったので、「JFK・・・」については次回にします。

 

ありがとうございました。