moyotanのブログ

70を前にして、ふと・・・感じていることを・・・

読書バリアフリー

来年70歳を迎える私が、日常で触れたこと、テレビだったり、映画だったり・・・

 

に、絡めて、思い出したことや思っていることを

ブログで配信しています。

 

 

しかし、なぜ「70歳」と最初から書いているんだろう?

 

と改めて、

年齢へのこだわり、老化へのこだわりがあるんだろうなと思います。

 

こだわりがある自分の脳内の言葉を書きます。

 

 

以前のブログで

「耳読書・電子書籍・紙読書」の使い分けみたいなことを書きました。

 

その最後に、芥川賞を受賞した市川沙央さんの「ハンチバック」について触れました。

 

で、NHK Eテレ「バリバラ」という番組に市川さんの名前を見つけました。

 

市川さんに加えて、

スピードワゴンの小沢さんの出演も魅了的でした。

 

話はそれますが、

小沢さんがMCをしていたEテレの「言葉にできないそんな夜は」という番組が好きだったんです。

 

「バリバラ」という番組の説明をしましょうね。

 

※※バリバラ みんなのためのバリアフリー・バラエティー』は、

NHK Eテレで放送されている障害者セクシャル・マイノリティなど

生きづらさを感じるすべてのマイノリティーをテーマにしたバラエティ番組情報番組

 

今回は

「バリバラ ~芥川賞作家と考える読書バリアフリー~」を観て、私の脳内で蠢く言葉たちを発信しようと思います。

 

 

バリバラの番組冒頭、

小沢さんが市川さんの作品「ハンチバック」のある部分を朗読しました。

 

「私は紙の本を憎んでいた。

目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、
5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。

その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。」と・・・いう小沢さんの噛み締めるような朗読でした。

 

 

「バリバラ」では市川さんの他に

読書の壁を感じる方々を紹介していました。

 

1番目は

A LSの障害を持つMさんという方でした。

彼女は、首から上と、手の一部の動きが保たれてて、瞬きや表情も駆使して、主に電子書籍を使っての読書です。

 

昔は絵本を息子に読み聞かせて、その中でのコミュニケーションを楽しんでいたと言います。

例えば文字を追うだけでなく、

息子が早くページをめくれば、それに応じて自分も読み方を変えたりしたというのです。

 

でも、今、瞬きや凝視等を駆使しての電子書籍読書では

息子とのコミュニケーションは不可能で、

親子読書をやめてしまったと言います。

 

 

2番目の方は、弱視、難聴の障害を持った研究者のNさんです。

拡大装置、代読、代筆等のサービスを利用しながらも、

研究者ということもあり、

楽しみな最新の論文が届いてもすぐには読めないというジレンマを抱えていました。

 

彼女自身は、

小説はオーディオブック、

研究書や論文等はテキストデータでという使い分けをしているようでした。

 

彼女は

「自分がお金を払って、それを読めない」と、もどかしさを表現していました。

 

 

3番目の方は、

知的障害のために、

色分けや、ふりがながあると理解しやすいけど、

抽象的な理解が困難と言っていました。

 

番組では、この抽象的理解を補う研究としてLL漫画というものを紹介していました。

 

それは同じストーリですが、複数の表現で提示するというものでした。

 

この方法で描かれた漫画を2つの表現で示すと

番組の出演者は「私はA」「私はB」と意見も割れました。

番組では「人によって異なる」ということを確認しあっていました。

 

わかりやすさを原作者に求めることなく、

つまり、原作者は自分なりの表現の追求は当然。

 

だから第3者などが、理解困難に対してのサービス(LL漫画のように)を考えていくことが必要。

という意見も番組内でありました。

 

 

この番組で、市川さんを含む4名の方々は

 

それぞれ、年齢も、環境も、病気や障害の程度も、考え方など

たくさんの違いがあるわけです。

 

だからその人その人が感じる読書についての

「こうだったらな」とか「これは悲しいな」とかが違っていて・・・

まさしく多様なんです。

 

この番組に登場してきた方々は、

不便や憤りを感じながらも変えてくれと、がなり立てているわけではなく、

生活の中では、それぞれが、多くの工夫をして、少しでも本を楽しく読んでいます。

 

私が老眼の不便さを補う意味で

オーディオブックやKindleを使うように・・・

色々な人が色々な不便を解消するために、なんかかんかやっているんですよね。

 

 

私は、高校生の時

重度の身体障害の友人たちの外出の手伝いをしていました。

 

その延長線上で、作業療法の学校に行き、

分野は異なりましたが、

精神科医療に携わりました・・・

 

社会福祉や医療との接点を持っていたわけですが

 

やはり・・・

 

ずーっと、何十年も

福祉とかバリアフリー

健常者が、障害者に環境を整えてあげるものと

無意識レベルで考えていました。ずーっと。

 

また、障害者とか障害についても

千差万別ではなく

一括りに考えていました。

 

 

 

今日紹介した「バリバラ」という番組や

市川沙央さんの「ハンチバック」という小説の他

最近、堀越喜晴さんの「世界を手で見る、耳で見る」という著書に

触れて・・・

 

作業療法という現場から離れ、

今我が身に起こっている「老い」を通して

福祉とかバリアフリーとかを

ほんの少し、

具体的、かつ身近な問題と感じられるかもと思います。

 

 

今の時点で

バリアフリーや福祉」について思っていることは

 

それぞれの状況を聞いたり、見たり、言ったり、尋ねたり、わかろうとしたり、想像したりする過程が

 

バリアフリー」なのかな?と、思います。

 

これって、通常の人間関係ですよね。

 

つまり、「自分の老い」について考えるとこは社会をも考えることなんですよね。

 

高校生だった50数年前

重度障害の友人の車椅子の外出の時、

階段では一台の車椅子に、手伝う友人や通りがかりの人3−4人の力が必要でした。

 

トイレはほとんど和式だったので、必ず女子のボランティアが同伴して介助しました。

 

養護学校の最寄りの駅ですら、スロープさえありませんでした。

 

 

今、駅にはエレベーターが設置され、トイレも使用しやすくなっています。駅員さんに言えば、それなりの介助等も受けられるかもしれません。

 

まだまだなんですが、

あの頃を思うと夢のようです。

 

ハード面は少しづつ整いつつあります。

障害を持つ当事者、その周りの方々の努力の賜物です。

 

 

東京から遠く離れてしまって、

あの頃の友人との連絡が途絶えてしまっています。

古い手帳をめくってみることにしましょう。